アルフレッド・シスレー

Alfred Sisley (1839 - 1899)


作品一覧

シスレー 版画 sisley gravure

「洪水」

エリオグラヴュール 1897年

シスレー 複製画 sisley reproduction

「牧草地」

複製画(ジークレー) 2015年



シスレー 略年譜

1839 10月30日、裕福なイギリス人の両親のもとパリに生まれる。4人兄弟の末っ子だった。

1857 18歳のときにロンドンに移り叔父のもとでビジネスを学ぶ。

    しかし、商業よりも美術に関心を持ちターナーやコンスタンブル等の作品に触れた。

1861 パリに戻り、フレデリック・バジールのすすめでマルク=シャルル=ガブリエル・グレールのアトリエで学ぶ。

    クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会う。

         彼らの作品はあまり売れず、当時のサロンの審査員からも受け入れられなかった。

    1860年代、シスレーは父親の援助により他の画家たちよりは経済的に恵まれた立場あった。

    当時とくにルノワールと親しく、ルノワールはシスレーの父親やシスレーと恋人の肖像画等を描き、

         前者を1866年のサロンに出品している。

1866 シスレーはパリに住むブレトン人ウジェニー・レクーゼク (1834-1898)と交際を始める。

         二人の間には息子ピエール (1867年生) と娘ジャンヌ (1869年)が生まれた。

    当時シスレーはアヴニュー・ド・クリシー近くに住んでおり、パリ在住の画家の多くが集まる

         カフェ・ゲルボワの常連ともなっていた。

1868 シスレーの作品はサロンに出展され入選を果たすがあまり評価されなかった。

1870 普仏戦争勃発し、ブージヴァルに住んでいたシスレーは敵兵により家・財産を失い、翌年には父が破産、

         経済的必要を満たすために作品を売るしかなくなる。しかしシスレーの作品はなかなか売れず、

         以後彼は死ぬまで困窮した中で生活することになる。

1871 パリ・コミューンを避けルーヴシエンヌにほど近いヴォワザンへ移住。その後、アルジャントゥイユ、

         ブージヴァル、ポール=マルリにも移住。

1874 経済的困難もあったが、後援者の助けもあり何度かイギリスに短い旅をしている。

    熱心な美術収集家で著名なオペラ歌手のジャン=バティスト・フォールの招きによりイギリスに滞在。

       ロンドン滞在中にテムズ川上流のモレジーで20近くの作品を制作した。

1875 モネ、ルノワール、ベルト・モリゾとともに水彩画、油彩画の即売会を開催する。

1880 パリの東南方、セーヌ川の支流のひとつであるロワン川沿いに活動の拠点を移した。

1889 モレ=シュル=ロワンに移住。1893年よりモレ=シュル=ロワンのノートルダム教会を連作で14点描いた。

1897 パートナーのウジェニーと共に再びイギリスを訪れ、8月5日にはカーディフで婚姻届を提出した。

    この滞在中に多くの油彩画を描いている。

    10月にフランスに戻っており、この旅が祖国を訪れた最後になった。

    フランスの市民権を得ようと申請するが却下された。2度目の申請時には病気が原因で却下されたという。

1899 モレ=シュル=ロワンにて喉頭癌のため死去した。

         妻が癌で亡くなった数か月後のことで、二人はモレ=シュル=ロワンの墓地に埋葬された。


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